もの語る収納たち

座敷の顔、違い棚の物語 - 書院造から現代和室へ、飾りと収納の歴史

Tags: 違い棚, 和室, 床の間, 和家具, 歴史

座敷の顔、違い棚の物語 - 書院造から現代和室へ、飾りと収納の歴史

日本の伝統的な住まいにおいて、座敷、とりわけ床の間は特別な空間でした。その床の間に寄り添うように設けられた棚、中でも「違い棚」と呼ばれる独特な形式の棚は、単なる物を置く場所を超え、座敷の顔として、その家の格式や主の美意識を映し出す存在でした。違い棚は、付書院、床脇(とこわき)と呼ばれる一連の要素と共に発展し、日本の住文化の変遷を静かに語り続けています。今回は、この違い棚を中心に、日本の和室における棚の歴史と物語をたどってみましょう。

座敷を彩る棚の構成要素

座敷の床の間脇に設けられる棚は、通常いくつかの要素から成り立っています。代表的なものが「違い棚」「付書院」「地袋」「天袋」です。

これらの要素が組み合わさることで、床の間脇は機能と美を兼ね備えた一体の空間となり、座敷全体の雰囲気を決定づける重要な役割を果たしました。

書院造と棚の起源

違い棚をはじめとするこれらの棚の形式は、室町時代に成立した「書院造」と共に発展しました。書院造は、禅宗寺院の建築様式や武家住宅の様式を取り入れながら形成された住宅様式で、床の間、違い棚、付書院、帳台構えなどを特徴とします。

書院はもともと、主人が書物を読んだり来客と対面したりする空間であり、そこで用いられた棚は、主に書物や文房具、あるいは当時貴重であった美術品などを飾り、見せるためのものでした。特に違い棚は、掛け軸や茶碗、香炉といった書院飾りの品々を引き立てるために、棚板の高さや奥行きが計算され、絶妙なバランスで配置されました。これは単なる実用的な収納というより、美意識の表現であり、座敷の格式を示す重要な要素だったと言えます。

時代ごとの変遷と意匠

江戸時代に入ると、書院造は武家だけでなく、公家や豊かな町家にも普及し、様式が定着するとともに多様化しました。違い棚の形式には、真・行・草といった格があり、用いる材種や仕上げによってもその格が表されました。

明治、大正、昭和初期にかけては、一般住宅にも和室が普及する中で、より簡素化された造り付けの棚や、座卓に合わせて低い位置に違い棚を持つ置き型の棚なども登場しました。これは、かつてのような格式張った書院飾りというより、日常的な飾りや収納としての役割が強くなったことを示しています。しかし、それでも、床の間脇の棚は、和室の落ち着きや趣を醸し出す上で欠かせない要素であり続けました。

家具が語る物語、そして現代へ

違い棚や地袋、天袋といった床の間脇の棚は、単体で移動できる「家具」というよりは、多くの場合、建物と一体となった「造り付け」の要素です。そのため、家具としての歴史を語る際には、建物の歴史、そしてそこで暮らした人々の営みと切り離して考えることはできません。

古い違い棚の棚板に残る傷跡は、かつてそこに飾られていた物や、手入れをしていた人の手つきを想像させます。地袋の引手金具の摩耗は、中の物がどれほど頻繁に出し入れされたかを物語るかもしれません。天袋から思わぬ古い書物や道具が見つかったという話は、そこで長い年月が積み重ねられてきたことを感じさせます。

現代において、本格的な書院造の座敷を持つ住宅は少なくなりました。しかし、古い住宅に残る違い棚や地袋、天袋は、当時の建築技術や意匠、そしてそこで営まれた豊かな暮らしの痕跡をとどめています。それらは、どのような材が使われ、どのような職人の手によって作られたのか、どのような物が飾られ、しまわれていたのかを知る手がかりとなります。使われている材の年代や加工方法、金具の様式などからは、その建物の建てられたおおよその時期や格式を推測することも可能です。

現代の暮らしにおいて、古い造り付けの棚をそのままの形で活用するのは難しい場合もありますが、その材や金具には再活用の可能性が秘められています。美しい木目の棚板や、凝った意匠の框、あるいは味わい深い引手金具などは、形を変えて現代の家具やインテリアの一部として生き続けることができるかもしれません。

違い棚をはじめとする床の間脇の棚は、単なる収納機能を超え、日本の美意識、もてなしの心、そして生活文化の変遷を映し出す鏡のような存在です。一つ一つの棚に刻まれた痕跡をたどることは、失われつつある日本の伝統的な住まいと、そこに宿る物語に触れることと言えるでしょう。