日本の玄関を彩る収納 - 下駄箱が映し出す住まいと文化の移り変わり
玄関に佇む歴史
日本の住まいには、世界的に見ても特徴的な空間が存在します。それは「玄関」です。家に入る前に靴を脱ぐ習慣は、単なる衛生習慣にとどまらず、内と外を分ける結界のような意味合いも持ち合わせてきました。そして、その玄関に必ずと言って良いほど置かれているのが、下駄箱です。普段何気なく使っているこの家具もまた、日本の住まいや人々の暮らしの歴史を静かに物語っています。
玄関空間の成立と下駄箱の芽生え
かつての日本の伝統的な住まいには、現代のような独立した「玄関」という概念は希薄でした。多くの家には土間があり、そこで履物を脱ぎ、上がり框(あがりかまち)を上がって畳の生活空間に入る、という形式が一般的でした。履物は土間に置かれるか、上がり框の脇に無造作に並べられることが多かったようです。
しかし、近世以降、特に武家や商家では、格式を示すための「式台(しきだい)」を設けた玄関が発展しました。これは上がり框の手前に一段低い板敷きの空間を設けたもので、ここで来客は履物を脱ぎ、家人は式台の上に控えて挨拶をしました。このような空間が成立する中で、履物を整然と置く場所、あるいは収納する場所の必要性が少しずつ生まれ始めました。初期の形態としては、上がり框の下の空間を利用したり、簡易な棚や箱を置いたりしていたと考えられます。
明治時代に入り、近代化と都市化が進む中で、洋装化や家屋の改良が進みました。特に都市部では、プライバシー意識の高まりや、来客への対応のため、独立した玄関空間を持つ住宅が増加します。靴を履く習慣も広がる中で、多様な履物を効率的に収納する家具として「下駄箱」が誕生し、普及していきました。
時代と共に移り変わる意匠と機能
明治期から大正期にかけての下駄箱は、主に木製で、簡素な造りのものが多かったと推測されます。当時の履物はまだ下駄や草履、雪駄といった和装履物が多く、それらを並べやすいように棚板の間隔が広く取られているものが見られます。都市部の富裕層の住宅では、凝った彫刻や装飾が施された、家の顔としての役割も果たす豪華な下駄箱も作られました。素材としては、杉や桐、欅などが用いられ、木目の美しさを活かしたものが好まれました。
昭和期に入ると、靴を履く習慣が一般化し、それに合わせて下駄箱の構造も変化します。ハイヒールやスニーカーなど、多様な形状の靴を収納するため、棚板が調節可能になったり、引き出しや小物を入れるスペースが設けられたりしました。集合住宅が増える中で、限られた玄関スペースに効率よく収まるように、背が高く奥行きの浅いデザインや、扉付きで中が見えないタイプが主流となっていきます。
この頃から、木材だけでなく、合板や化粧板といった新しい素材が使われるようになり、デザインもより多様化しました。扉に鏡を取り付けたものや、傘立て、スツールなどを一体化させた機能的な下駄箱も登場しました。金具も、真鍮や鉄から、より安価で加工しやすいものが使われるようになり、意匠の面でも簡略化が進んだものが多い印象です。しかし、中には職人の手仕事による、丁寧な作りや美しい装飾が施された特注品も見受けられます。
下駄箱が語る家族と来客の物語
下駄箱は、単に履物を収納する機能を持つだけでなく、その家で暮らす家族の構成や、来客の様子を映し出す鏡のような存在でもありました。小さな子供の靴、働き盛りの大人の靴、そして年配者の履物。家族それぞれの靴が並ぶ様子は、その時代の家族構成や生活スタイルを想像させます。
玄関は「家の顔」であり、来客が最初に足を踏み入れる場所です。下駄箱は、その家の迎え入れる姿勢や、暮らしの様子を静かに物語ります。丁寧に手入れされた下駄箱に整然と並べられた靴は、その家の主人の几帳面さや、来客を気持ちよく迎え入れようとする心遣いを示すかのようです。また、古い下駄箱の特定の場所にだけ集中的に付いた傷や、何度も開け閉めされた形跡のある扉や引き出しは、家族の誰かが頻繁に外出していた様子や、特定の用途で使われていた痕跡として読み取ることができます。
現代に残る下駄箱の価値
古くから伝わる下駄箱には、現代の工業製品にはない魅力があります。木材の種類、丁寧な組み方、時代を感じさせる金具の意匠などは、当時の生活様式や職人の技術を知る手がかりとなります。例えば、古い下駄箱に見られる観音開きの扉や、引き出しに採用されている指物(さしもの)の技術、あるいは特有の取っ手や蝶番(ちょうつがい)のデザインからは、製作された年代や地域、そして使われていた家庭の趣向などが推測できます。
これらの古い下駄箱は、現代の住宅の玄関にそのまま置いても絵になりますし、当時の堅牢な造りを活かして、別の用途の収納として再活用することも可能です。例えば、棚板を調節して本棚にしたり、深さのある引き出し部分を趣味の道具入れにしたりすることも考えられます。古い金具を磨き直したり、全体の木部を修繕したりすることで、家具に新たな命を吹き込み、次の時代へと繋ぐことができます。
暮らしの変化を映す静かな語り部
下駄箱という日常的な収納家具は、日本の住空間における玄関の変遷、人々の履物文化の変化、そして家族構成や来客に対する考え方といった、多岐にわたる歴史や文化を映し出す静かな語り部です。次に玄関で靴を脱ぐ時、あるいは古い下駄箱を見かける機会があったら、その家具がたどってきたであろう物語に、そっと耳を傾けてみるのも良いかもしれません。そこには、私たちの祖先が紡いできた暮らしの知恵や、時代ごとの営みが刻み込まれているのです。